東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)

澤谷 芳広,淺沼組

 この度の東日本大震災の被害を受けた皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 去る3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による揺れは、50年少しを生きた私の人生の中で最も大きなものでした。鉄骨造13階建ての弊社社屋11階(私のいたフロアー)の揺れの感覚は、震度6弱~6強に相当していたのではないかと思われます。初め小さく揺れ、徐々に大きな揺れになり、本棚が倒れ、書籍が散乱し、引き出しは飛び出し、・・・・・・、女性社員の悲鳴、・・・・。余震も続き、揺れが完全に納まるまで長い時間が経過しました。

 静岡県出身の私は、中学生の時、伊豆沖地震(正式名?伊豆の震度6~7)による揺れを経験しましたが、私の街の震度はせいぜい4くらいではなかったかと思います。技術の時間で、ゴーという音の直後に建物が揺れ初め、机の下に潜った記憶があります。この経験から、大きな地震というものはゴーという音の直後に来るものだなと思っておりましたが、その後そのような音を聞いたことはありません。その後の地震については、東京近郊で震度3~4くらいのものを何度か経験している程度です。

 地震発生から3週間少しが経過した現在、交通網は徐々に回復してきているようですが、原発、家屋、インフラ、医療等多くの問題を抱えています。職業柄、地震による建物の被害状況が気にかかるところではありますが、津波、原発の情報がクローズアップされているせいか建物被害についての情報はあまり報道されていないように感じられます。阪神淡路大震災ほどの大きな建物被害はないのか?少なくとも自分が関わった建物については大きな被害はないようですが・・・・。被災後自分が調査した建物では、鉄骨造は天井、仕上げ材の落下、鉄筋コンクリート造は雑壁、タイルのひび割れ等が見られましたが、人にけがを与えなかっただけ幸いと思っています。

 どのような形で街が復興していくのか、復興にどのくらいの時間を要するのか、原発はどうなのか、津波対策はどうなるのか等多くの課題を抱えています。将来像が見えてくるまで時間がかかるような気がします。できる範囲で協力し、少しでも早く東日本が元気になることを望みます。一方、このような地震を目の当たりにし、構造設計の重要さを改めて認識しました。構造設計のミスは許されない!!

2011年4月