私が建築学科に進んだのは・・・

村田義行,高周波熱錬

 キャプテンパイル工法の開発では、設計の重要な部分を担当させて頂き感謝しております。ということで「杭の設計用応力について最近思うこと」あたりを書こうかと思いましたが、話が硬すぎるとのご指摘もあり、大学で建築学科に進んだいきさつを紹介したいと思います。

 高校では文系でした。そんなこともあり、数学は数Ⅰまで、化学は化学Ⅰまでしか教わってなく、物理に至ってはまったく知りません。現在、困っていませんので、建築系の仕事をするうえでは「足し算、引き算、掛け算、割り算」ができればいいのでしょう。

 大学受験のときには、理工系を受験するにあたり受験科目に物理がない学部や学科を一応探した覚えがあります。そもそも、受験勉強はしておりませんので科目はどうでも良かったのですが・・・。
 あまつさえ、入試のときの予定では化学学科に○をすべきところ、建築学科に○をしてしまったようで、合格通知は建築学科でした。なんと奇跡的に合格していました!

 そうそう、この試験があった日は2月9日で日航機逆噴射事故「機長!やめてください!」がありました。初めて痴漢に遭ったのもこの日でした。帰りの日暮里駅あたりで。60歳くらいのおじさんに下腹部を触られました。「おじさん!やめてください!」

 受験ツアーでは東京で大学に通っていた従兄弟のところにお邪魔しました。従兄弟は夜帰ってこないやら、従兄弟がいないときに彼女から電話が掛かってきて帰ってこない訳を取り繕ったりやらと大変でした。
 こんなこともありました。ある大学の受験日のこと、この日は従兄弟は帰ってきていたのですが、二人とも寝坊し、受験に30分くらい遅刻してしまいました。遅刻すると対応が良いもので係りの人が焦って席まで先導してくれました。「もうちょっとゆっくり歩いてください!」 結果は合格!マークシート恐るべし!(建築学科ではありません)

 国立大学は農学部を受験しました。受験のころは既に自動車教習所(未公認)に通っていました。教習所を休んで受験しに行ったような感じです。
 ちなみに車の運転は教習所に通う前から割と上手く、未公認ということもあり、自分が練習しながら女の子に教えたりもしていました。教習所に通ったのは10日くらいです。後は、路上運転の同乗指導者を父親にするなど書類を作成し、警察で直接試験を受けて免許を取りました。免許取り消しになったおじさんたちに混じって。
 この受験(運転試験ではありません)のときにもおもしろいことがいろいろとありました。その一部を紹介します。
 試験1日目が終わりちょっと観光して旅館に戻ると、他の受験生は部屋に戻って勉強しているらしく夕食を終えていました。食事をする部屋は200~300人の大広間で、隅のほうに仲居さんが15人くらい座っていました。その大広間のど真ん中で仲居さんたちの監視のもと、たった一人で優雅に食事をしていると、もう一人遅れてきた受験生がきて私の隣りに座りました。
 そいつが魚がいらないからと、私に勧めてくれたのですが、私がそいつの魚を奪ったように見えたのでしょう。仲居さんがおもむろに寄ってきて「それは、こちらの方の分ですよ!」ですって。最終日にはバスに乗って市内観光などをし、充実した受験旅行は終わりました。結果、奇跡は起こりませんでした。

 まぁ、いろいろとあり、奇跡はいくつか起きたのですが、最初に入学手続き金を納めたその建築学科で「まぁいいか」ということで落ち着きました。これが今ここにいる最大の分岐点だったように思います。
 ともあれ今はキャプテンパイル工法の普及に邁進しております。

2006年11月